石造宝塔
せきぞうほうとう
地図(広域中域詳細
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 真言宗善通寺派の山上伽藍(海抜450m)として、かつて賑いをみせた祇園寺観音堂境内の北西に位置する。
 総高358㎝、花崗岩製のもので高さ約100㎝の割石積の基壇に葛石を敷き、その上に高さ60㎝、一辺89㎝四方に、幅6㎝の線で輪郭をとり、正面だけ二区に仕切り、それに銘が刻まれているが、摩滅が著しく読み取ることができない。塔身は四方に四角形の龕(がん)を作り、顕教四佛の坐像を半肉彫りしている。上部に別の石で作った厚い縁板状と二段の首部をつけるが、その下段には、縦連子風の文様を彫る。笠は上部に露盤、隅棟をつけ、裏側には一段の垂木型を彫りだす。また四隅の上辺と下辺には風澤を吊るした小穴があり、元々は上下ともに荘厳な塔であったことが考えられる。相輪も完全で、南北朝時代中頃の製作と思われる。
 この宝塔について確実な資料はないが、補陀洛山由緒旧記によると、備中松山藩の前田時棟文書として、寛保元年(1741)春に前田氏が、松連寺住職に伴われて補陀洛山に登山した記録に、「当左有宝篋印塔相伝平相国所建細看有字僅存建立石三字、余漫滅不可弁認伝」とあり、今から270年程前にすでに三字だけしか読めないとあり、清盛公の建立であるという寺伝がそのまま伝えられている。一説には延文2年と拓本で読めたとあるが、本尊千手観音の脇侍、毘沙門天の足趾に墨書、延文2年(1357)に修理とあり、推察したのではないかと思われる。