備中檀紙と小堀遠州書状
びっちゅうだんしとこぼりえんしゅうしょじょう

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 高梁川流域は、古くから楮の産地で、早くから各種の紙の製造が行われていた。中でも檀紙は柳井氏秘伝の紙であった。柳井氏は広瀬村を知行所として移り住み、御用紙漉を営んだ。始めた年代は明らかではないが、元亀・天正年間(1572年前後)に、檀紙を朝廷や幕府に納入した記録がある。檀紙には大高・中高・小高の3種類があり、大高は幅60㎝、横92.4㎝、紙質が最も厚く、朝廷・幕府の公文書、中高はやや薄く、主に備中松山城主に、小高は大高の半分の大きさで紙質は薄く、宮中で色紙や短冊などに用いられた。紙質は時代が下るにつれ、白く滑らかで優美になった。
 小堀遠州書状は、寛永16年8月(1639)、江戸城本丸御殿の火災で在庫品が焼失した時、伏見奉行の遠州が、柳井勘左衛門に、檀紙を上納するよう注文した書状である。