森忠久墓
もりただひさはか
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 有漢町貞守地区の宮城家墓地に森次郎兵衛尉忠久の墓がある。寛永元年(1624)2月の没年が刻まれている。この森氏はもともと津山城主森忠政に仕えた500石取の武士で、城主忠政の娘が後に備中松山城主となる池田長幸に嫁ぐ際に付き人として池田家に仕え、その後奥方が早逝されたため、有漢の地に居を構えたと伝えられる。