高梁市吹屋伝統的建造物群保存地区
たかはししふきやでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく
地図(広域中域詳細
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 吹屋は標高550mの山間に位置し、近世以降、銅山で発展しさらにベンガラで繁栄して富を貯えてきた地域である。江戸時代には、たたら製鉄で栄えた東城地方(現:広島県庄原市)と高瀬舟が行きかう成羽とを結ぶ吹屋往来が整備され、鉄や米、炭などの物資の中継地としての役割を果たした。吹屋の一帯は、中世末期以降、銅の産出で知られ、江戸時代にはいると吉岡銅山と呼ばれるようになった。明治に入り、三菱の岩崎弥太郎によって近代的経営が行われ、明治末から大正初期には日本三大銅山にも挙げられるほどであった。また江戸時代中期からはベンガラ生産が新たな産業として興り、銅山とともに吹屋地域独自の産業として隆盛を極め、昭和40年(1965)頃まで日本有数のベンガラ特産地として繁栄した。
 吹屋の町並みは、こうした二つの産業を背景としてできたベンガラ問屋や小売商などの町並みであり、下谷、下町、中町、千枚の4地区が伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 吹屋の町並みの景観を最も特徴づけているのは屋根であり、赤褐色の黒っぽい瓦から黄色っぽい瓦までさまざまな色合いの石州瓦で葺かれている。外壁は白壁、海鼠壁(なまこかべ)、焼板などがみられ、土壁には地元の赤土を使用することで薄い赤色をしている。格子はベンガラ塗りとするなど、意匠の優れた町家が多く、全体として「朱」という特色のある町並みを形成している。
 昭和52年(1977)に全国で8番目となる重要伝統的建造物群保存地区に選定されて以降、吹屋町並保存会により、町並みの保存活動が積極的に行われている。