山崎家文書
やまさきけもんじょ

この文化財は、地図情報を掲載していません。
申し訳ございません。

 山崎氏は織田、豊臣、徳川氏に臣従して活躍し、元和3年(1617)に備中成羽3万石の領主となった。山崎家治は、寛永15年(1638)に肥後天草富岡4万石の城主に転封となり、その4年後には讃岐丸亀5万石の城主に国替させられたが、後嗣を欠き、御家断絶となった。家治の二男豊治に父家治の旧領成羽を知行(交代寄合旗本5千石)させるという幕府のはからいで成羽へ入部した。豊治を初代とする後期山崎氏は以後成羽領主として幕末維新を迎え、今日に至っている。
 天正11年(1583)8月1日付の秀吉からの領土安堵状、天正20年(1592)羽柴秀吉軍令状に始まり、慶長5年(1600)関ヶ原の役時の家康の感状、さらには「天草移封書翰録」など国史に残る貴重な史料を含み、近世成羽の治世実態を伝える豊富な史料の中から12点を指定している。