三村氏居館跡
みむらしきょかんあと
地図(広域中域詳細
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 天文2年(1533)に星田郷(現:井原市美星町)より入部した戦国の武将三村家親が本陣を西之坊において成羽川の北岸、成羽の中央の平地に築営した平城で、成羽城とも呼ばれている。
 高い土塁(高さ4m、幅8m)に囲まれ、その外側には深い壕をめぐらせた堅固で広大なかまえの中世の武家屋敷である。
 在城領主は三村家親、三村親成、三村親宣と三村氏滅亡後は小早川隆景(本陣とする)、毛利氏(代官)、山崎家治である。山崎豊治からは月見・菊見等の宴に使用されたといわれる。
 現在は土塁(北東丑寅の方角にあたる部分で金神の祠と榎の古木が立っている)、石垣の一部と壕の遺構が当時の名残をとどめている。古町はこの成羽城を中心に発達した陣屋町である。