穴門山神社本殿・拝殿 附棟札
あなとやまじんじゃほんでん・はいでん つけたりむなふだ
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 穴門山神社は平安時代前期の「延喜式神明帳」に記されているように、古代から多くの人々の信仰を集めていた神社である。
 現在の建物は寛永9年(1632)に焼失した後、寛永14年(1637)に備中松山藩主池田出雲守長常が本殿・拝殿を再建し、その後宝暦3年(1753)に改修されたことが棟札から判明している。また境内には水谷右京亮勝宗が大鳥居・石灯籠などを寄進したものが残されている。
 本殿は、流造の屋根に唐破風の向拝で、それを支える向拝柱は4本で三間社流造となっている。本殿と幣殿、拝殿とを一つの屋根で結んでいる。軒回りや妻は彫刻装飾で飾られており、本殿破風の切妻部はかぶら懸魚で飾られている。桃山時代の建築様式を取り入れた装飾性の強い寺社建築である。
 拝殿は、入母屋造で、正面は流れ向拝となっており、唐破風向拝柱は4本で三間社となっている。軒回りや妻の部分には、蛇腹支輪と蟇股を連ねた彫刻装飾が施されている。
 拝殿の天井裏には棟札が残されていた。寛永14年(1637)備中松山藩主池田出雲守長常が拝殿再建にあたり、大施主として寄進したことを証明する棟札など、6枚の棟札が指定されている。これにより、穴門山神社の建物の修理歴などを知ることができる貴重な資料である。