全通橋
ぜんつうばし
地図(広域中域詳細
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 成羽東城間の道路改修の際、特に惣田井川間の改修は難工事を極め、旧平川村二又瀬は成羽川を眼下に見る急崖を切り開くため、巨額の費用と長期の日数を要した。
 関係者の献身的な努力と多くの関係町村民の労力投入によって、明治31年度(1898)中に二又瀬の難工事を9,500余円で竣工し、明治32年6月には総工費34,530円36銭の巨費を投じ、中断期を挟んで、血と涙の苦節14年を経てようやく成羽東城間の道路改修は完成した。
 田原の平松為三郎氏の命名による「全通橋」の橋名にその喜びが込められている。
 現在のコンクリート橋は大正7年(1918)8月に架け替えたもので、最初の橋は両側の絶壁の途中から八の字に橋脚を出し、その上に橋桁を渡した木橋であった。