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「松山踊り」が岡山県の重要無形民俗文化財に指定されることになりました!

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年2月20日更新

 備中松山の城下町で江戸時代から継承されてきた伝統芸能で、毎年8月14日~16日に備中高梁駅前で開催されている「松山踊り」が、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されることとなりました。 

概要

 名   称 : 松山踊り(まつやまおどり)

 種   別 : 岡山県指定重要無形民俗文化財

 開催時期 : 例年8月14日~16日

 開催場所 : 備中高梁駅前通り

 保護団体 : 松山踊り保存会 

評価

 承応2年(1653)以降に城下で踊られるようになった町人の「地踊り」に、武士の「仕組踊り」と、昭和に入ってから成羽などから伝来した「ヤトサ」が加わって踊りを構成している。
 異なった踊りが伝統的な芸能として一ヵ所で継承されており、価値が高いと評価されました。

松山踊りの様子

地踊り仕組踊りヤトサ

仕組踊り

ヤトサ

 

指定理由

 松山踊りは、江戸時代前期から備中松山藩の城下町において伝承されている盆踊りです。踊りの種類は「地踊り(じおどり)」「仕組踊り(しぐみおどり)」「ヤトサ」で構成され、それぞれに対応した音頭で唄われています。

 「地踊り」は、慶安元年(1648)に備中松山藩主 水谷勝隆(みずのやかつたか)が五穀豊穣と町家繁栄を祈って、八幡神社の秋祭りとして始めたといわれ、城下町の整備・発展とともに商家町に広がり、盂蘭盆(うらぼん)の行事として定着していったと考えられています。

 「仕組踊り」は、延享元年(1744)以降、藩士の子弟による尚武の踊りとして始まったとされます。明治4年(1871)の廃藩置県を機に一時途絶えましたが、同10年(1877)頃に復活し、時代の世相を反映した題材を演じ、多様化していきました。

 一方、「ヤトサ」は、かつて「成羽踊り」または「竹荘踊り」と言われ、旧川上・上房郡内で伝わっていた踊りですが、平易な旋律、軽快なリズムで人気が高まり、昭和初期以降に高梁で踊られるようになったとされます。

 松山踊りは、江戸時代以降、城下町の整備・発展を背景として姿を変えながら、現在まで伝統的な芸能として踊り継がれている歴史的価値の高いものです。

 ※盂蘭盆(うらぼん):盂蘭盆経の説話に基づいて、祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事。

   尚武(しょうぶ):武道・武勇を重んじること。