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旧備中松山藩御茶屋

ページID:0019935 印刷用ページを表示する 掲載日:2017年1月30日更新

旧備中松山藩御茶屋(通称「水車」)について御茶屋全景

備中松山藩六代藩主板倉勝職(いたくらかつつね 1803-1849)が、別邸として建てたものです。隣接して水車があったことから通称「水車」と呼ばれました。平成23年3月、高梁市教育委員会が実施した遺構調査で、水車跡の石組みが発掘され「水車」の呼称の裏付けとなりました。

幕末に藩政改革をすすめていた山田方谷(やまだほうこく 1805-1877)は元締役を辞した後、安政6年(1859)4月、長瀬(現・JR伯備線方谷駅)に住居を移しましたが、年寄役助勤として引き続き藩政に参画することとなったため、当時、利用のなかったこの「水車」を城下滞在時の宿舎としていました。

同年7月、越後長岡藩士河井継之助(かわいつぎのすけ 1827-1868)が方谷の教えを請いに訪れた時、初めは武家宿花屋(高梁市鍛冶町)に宿泊しますが、8月3日からここ「水車」に移り、長瀬とを往復しながら従学し、方谷の門人進鴻渓(しんこうけい 1821-1884)、三島中州(みしまちゅうしゅう 1830-1919)などとの交流もあり、継之助はこのことを旅日記「塵壷」に記しています。また、周防岩国藩の儒学者東澤瀉(ひがしたくしゃ 1832-1891)もここに宿泊し、方谷と交流し数日滞在しています。

現在の施設は、御茶屋跡に唯一残されていた建造物を、平成18年度に高梁方谷会・高梁地域まちづくり推進委員会・(社)日本建築学会中国支部岡山支所が調査し、これに基づき高梁市が水車とともに整備したものです。

 

●住  所   高梁市奥万田町3774-3

●施設内容  構 造   木造瓦葺き平屋建て

          延床面積 49.19平方メートル

          間取り   和室6畳・4畳半、茶室3畳(床の間を含む)、水屋2平方メートル、トイレ、広縁

          附帯施設 駐車場6区画、水車

 

旧備中松山藩御茶屋はご利用いただけます

●利用料

 

午前(9時~12時)

午後(13時~17時)

夜間(17時~21時)

金額

1,300円

1,800円

1,800円

1 使用者が入場料を集める場合は、入場料の額が1,000円未満の場合は10分の5、1,000円以上3,000円未満の場合は10分の8、3,000円以上の場合は10分の10をこの表の金額に乗じた額を加算する。

2 物品の販売、宣伝その他これに類する目的で施設等を利用する場合は、この表の金額に10分の10を乗じた額を加算する。

3 市外に居住する者が使用する場合は、この表の金額に10分の10を乗じた額を加算する。

4 上記1から3までの規定に該当するものが2以上あるときは、それぞれの規定により算出した額の合計額を加算する。

●手 続 き  使用許可申請書を提出していただきます。社会教育課へお申し出ください。

         旧備中松山藩御茶屋使用許可申請書様式 [Wordファイル/19KB]

●お問い合わせ  高梁市教育委員会 社会教育課(文化係)

            高梁市松原通2043番地  電話0866-21-1516