JavaScriptが無効のため、文字の大きさ・背景色を変更する機能を使用できません。
本文
江戸時代末期の備中松山藩主、老中首座。幼名は寧八郎、新十郎。号は庫山、松叟。伊勢桑名藩主松平定永の八男。板倉勝職の養子になる。藩政改革を漢学者・山田方谷の登用によって、成功させた。幕末の政治の中枢を担い、将軍家徳川家茂、慶喜のときに老中をつとめた。1867(慶応3)年大政奉還に立会い、戊辰戦争の時には、北海道函館まで赴く。明治維新後は上野東照宮宮司をつとめた。