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本文
江戸時代末期から明治時代初期の漢学者、備中松山藩士。名は球。通称は安五郎。字は琳卿。方谷は号。藩主板倉勝静のもとで藩政改革を断行し、大きな成功をおさめ、勝静が幕府の老中になると、その政治顧問として幕政にも関与した。また、多くの子弟を教え、河井継之助(1827~1868)のように他藩から来遊するものも多かった。明治維新を境に教育に専心し、世に出ることを拒んだが、その思想、手法、人材は次世代の大きな財産として残された。