備中松山藩校有終館蔵書 附本箱・本箱蓋
びっちゅうまつやまはんこうゆうしゅうかんぞうしょ つけたりほんばこ・ほんばこふた
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 備中松山藩では、延享3年(1746)藩主板倉勝澄(かつずみ)が藩士子弟教育のため学問所を創設し、寛政年間に校名を有終館と命名した。天保年間に2度の火災に遭ったが、その都度再建された。この時蔵書も焼失したと考えられるが、新たに購入された。
 廃藩後、閉校となった有終館の蔵書の一部は、当時の小田県に移管されるなどして失われたと考えられ、残存した蔵書の多くは、高梁市立高梁中央図書館の有終館文庫として引き継がれた。
 有終館では、四書五経・十八史略・日本外史・大日本史・十三経・二十二史・資治通鑑・宋元通鑑・諸子文集等の素読から返講・輪講を行っており、現在もこれら儒学書・歴史書・詩文集等の多くが残されている。また、文久元年(1861)の学制改革により「西洋ノ学術」も採用されたため、西洋の地理・歴史・制度・兵学に関する書籍も含まれており、幕末有終館の教育目的を良く反映した蔵書の内容となっている。
 有終館藩校蔵書は、藩校蔵書として県内で最も多く残存し、その内容も豊富であることなどから、県下近世教育を研究するうえで貴重な資料である。また、有終館学頭や備中松山藩元締役兼吟味役となった山田方谷が収集や購入にあたった蔵書も数多く含まれており、方谷の思想等を研究するうえでも重要な資料である。
 また、蔵書が収納されていた木箱44函(はこ)とこれとは別の本箱蓋5枚が残されており、その中には領民から献納された旨の墨書や蔵書収納のための符号などが記されているものがあり、蔵書の形成過程や収納状況を知る上で貴重なものということで、蔵書とともに指定された。