花崗岩製の五輪塔であり、地輪に寛永18年(1641)の年号が見られる。
火輪の笠軒先が斜めに切られている角度を考えると、同じ頃と思われるが、水輪の径が高さに比例して広く団子形をしており、他の四輪に比べて横幅が広いのは、中世の面影を多分に残している。
他の塔との混成とも考えられるが、花崗岩製の五輪塔としては、この地方の近世初期を代表するものである。
寛永18年と言えば、池田出雲守長常が寛永18年9月6日に没し、嗣子が無く断絶、寛永19年7月に水谷伊勢守勝隆が入封するまでの備後福山城主水野美作守が在番中のことである。