水谷勝俊・勝隆像
みずのやかつとし・かつたかぞう
地図(広域中域詳細
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 歴代の城主で抜群の業績を残したのは、水谷勝隆・勝宗・勝美の3代、寛永19年(1642)から元禄6年(1693)までの51年間である。
 高梁川下流の新田開発約800ha、玉島港の取立、城下町の完成と備中松山城修復、製鉄や畜産、高梁川の川開き、舟尾から玉島までの高瀬通し、多くの社寺の建立や寄進など、数えきれない功績を残した名君揃いで、その面影を偲ばせるのがこの2点の肖像画である。肖像画は、初代勝隆と父勝俊のものである。
 勝俊のものは、袍(ほう)を着し水色の指貫(さしぬき)をはき、太刀を腰にはさみ、太刀の革緒が膝前に垂れ下がっている。勝隆のものは、黒の広袖・羽織に袴を着け、上畳に坐した姿で、座の前に扇を置き、左に太刀、右に碁盤が置かれた寛いだ姿で描かれたものである。