玄賓僧都像
げんぴんそうずぞう
地図(広域中域詳細
Google Mapで表示

 法相宗六祖の一人である玄賓は、大同元年(806)平城天皇勅命で大僧都に任じられたが、栄達を求めず辞退し、備中湯川寺に隠遁した。その頃、近似(ちかのり)に一小庵を結び住んだ。嵯峨帝は僧都が世を去る弘仁9年(818)まで安否を尋ねながら布施を続けられたという。
 像は檜の座像で高さ75㎝、襟白、衣黒、袈裟褐色、顔は用慈にしてよく高潔を表し、手指を生々として説話をするありさまが読みとれ、着衣の写実的なまとめ方と相まって、肖像として優れた作品である。祖師像が多く造られた鎌倉時代風の像と言えよう。