水谷家墓所
みずのやけぼしょ
地図(広域中域詳細
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 初代水谷伊勢守勝隆は、寛文4年(1664)5月3日68歳で没し、大龍寺殿鉄山全性大居士の法名で定林寺境内墓地に埋葬された。二代勝宗は父の遺領をつぎ立派な藩政を敷いたが、ほとんど江戸詰であったため、元禄2年(1689)2月19日江戸で没し、墓は高輪の泉岳寺に葬られると『新修寛政重修諸家譜』にあるが、現在は不明である。三代勝美は病弱のため、在任わずか5年で元禄6年(1693)10月6日(31歳)に没し、隆昌院殿天山全長大居士の法名で、初代勝隆の左側に埋葬された。
 水谷家墓所は、定林寺境内東北隅の少し小高い所に土塀をめぐらし、向かって右側が初代勝隆、左側が三代勝美の墓塔である。
 いずれも石造五輪塔、材質は花崗岩、基礎(地輪)、塔身(水輪)、笠(火輪)、請花(風輪)、宝珠(空輪)で、基盤は三段からなり、基盤の下から宝珠の頂までの総高はいずれも314㎝である。