鳥挿地蔵
とりさしじぞう
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 成羽藩では鶴首山中の武士の池あたりで領主の鷹狩りがおこなわれた。そのため、名鷹をそだてるのに鷹匠(鳥挿役人)達は訓練と飼育に力をそそぎ、多くの小鳥をとってあたえた。時に鷹匠の中には、いけにえになった小鳥の悲しい声に悩まされ寝つけない者もいたといわれている。小鳥のいけにえ供養の声が高まり、お地蔵様を建立し、開眼供養がおこなわれ、鳥挿地蔵と呼んだ。台石に寛政5年(1793)の刻銘がある。星原の旧街道脇の大きな台石の上に座し、過ぎし小鳥達の哀史を語っている。