西江家住宅主屋ほか
にしえけじゅうたくおもやほか
地図(広域中域詳細
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 西江家は、三浦義明平氏の嫡流で鎌倉時代は北面の武士(朝廷の護衛)をし、応仁の乱後京都から高梁市成羽町坂本に居住し、山城を守る武士となった。戦国時代より毛利家の配下となり、関ヶ原の合戦後、帰農し幕領地における郡中惣代庄屋となる。居宅は代官御用所を兼ねたため、郷蔵・白州跡・式台・駅場舎・手習い場など役宅部分が現存する。創建は宝永・正徳年間1704年頃といわれ、現在も当時と変わらない堅牢なつくりである。西江家6代目が島根県から一流の石州大工と石州瓦職人たちを結集し、20年かけて創りあげた建造物である。3段構えの石垣はまさしく城郭の構えである。西江家15代目が木道楽であったため、裏座敷は明治に建て替えられた。部材にこだわり、桜・欅・松・檜・黒柿・紅葉など高級木材を使い、ベンガラスス塗りを施している。江戸時代における産業、人、文化など庶民の営みとともに幕府代官御用所としての歴史を今日に伝える大変貴重な歴史的建造物である。
 また正保4年(1647)西江家3代目がベンガラ製造に着手し、寛延3年(1750)には量産化に成功し、産業化させた。ベンガラは大名間の贈答品である伊万里や九谷などの上絵付け用顔料、漆器・塗料など汎用性のある赤色顔料として使用された。パリの万博にも出展し、200年間、愛され続けた一流ブランドである。昭和46年に安価なベンガラにおされ、ベンガラ製造は途絶えたが、西江家18代目がベンガラの復興に取り組んでいる。