川上町地頭の中心から北西1.5㎞の標高419.6mのところに築かれた城跡である。北西は細い道で小城山に通じており、三方は急峻な地形である。 築城は鎌倉時代といわれ、安藤太郎左衛門入道元理が北条家からこの地を与えられている。 備中兵乱のとき、毛利氏が三村氏を制圧する際に最初に陥落している。 「く」の字状にまがり、横矢斜の連郭式山城で、総延長160mの城郭が南に向かって連なる8郭と馬場と呼ばれる脇郭から構成されている。