笠神の文字岩
かさがみのもじいわ
地図(広域中域詳細
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 笠神は、昭和43年(1968)に完成した新成羽川ダムに水没したが、田原の上流約3㎞に位置する。川の中の大岩に文字を刻んだものが文字岩である。鎌倉時代の徳治2年(1307)に、日本でも無類の難所であった笠神龍頭の瀬、上下10余りの箇所を仏の加護によって、この河川の船路開発をした難工事を記念して、工事の経緯を刻んだものである。
 大きさは周囲約16m、高さ約6m、中生代末の安山岩質ということである。石工「伊行経」の名がみられ、「伊行経」は臍帯寺石幢などを製作した「井野行恒」と同一人物であると考えられている。
 この文字岩は、中世における成羽川を通じての経済・文化を解明するため、重要な意義をもつと同時に、わが国の河川交通史上最古の記念碑として、極めて貴重な史跡である。
 現在は、県道沿いに原寸大の模造石が展示されている。