旧吹屋往来沿いには、弁柄問屋や各種の小売商を営んだ家々が軒を連ね、赤褐色の瓦・土壁・海鼠壁・弁柄塗りの格子で統一された優れた意匠の町家が良好に残っている。
:国選定 重要伝統的建造物群保存地区
片山家は、江戸時代後期から弁柄の製造・販売を手掛け、当地を代表する商家としての地位を確立し、庄屋を務めた。旧吹屋往来に面して、主屋及び土蔵等の附属建物が良好に保存され、江戸時代後期から明治期にかけての商家建築として高い価値を有している。土蔵には、弁柄に関する資料が展示されている。
:国指定 重要文化財(建造物)
弁柄製造で繁栄した片山家の分家。明治12年(1879)に石見(現在の島根県西部)の大工により建てられた商家建築で、昭和51年(1976)から吹屋の歴史と暮らしを紹介する民具等を展示・公開している。
:未指定 有形文化財(建造物)
広兼家は、江戸時代後期に小泉銅山(現高梁市成羽町小泉)経営と弁柄関連製造で蓄財した。二階建ての大型主屋や土蔵・長屋等は、文化7年(1810)の建築で、楼門を持つ豪壮な石垣は城郭を思わせる屋敷構えとなっている。
:市指定 重要文化財(建造物)
西江家は、江戸時代中期頃から弁柄製造に携わり蓄財した。赤褐色の瓦で葺かれた大型主屋や土蔵群を含む屋敷構えが良好に残り、壮観な景観を呈している。土蔵を改修した展示施設では、弁柄関係の各種資料が公開されている。
:国登録 有形文化財(建造物)
この施設は、明治期の弁柄工場を昭和61年(1986)に復元整備したもので、水車を動力源とする当時の弁柄製造工程が概観できる唯一の施設である。
:未指定 有形文化財(建造物)
吉岡銅山は、大同2年(807)の開坑とされ、江戸時代前期には泉屋吉左衛門(後の住友の祖)が経営を請け負い、西日本有数の銅山として繁栄した。明治6年(1873)には岩崎弥太郎(三菱商会)が買収し、巨大な資本力と近代西洋技術の導入により、国内屈指の銅山となった。吉岡銅山は、三菱が手掛けた最初の金属鉱山であり、後の全国各地の鉱山開発の規範となった。昭和47年(1972)に閉山となったが、現在、銅山跡地には坑道、選鉱及び製錬所、沈殿槽、大煙突への半地下式煙道等の遺構がみられ、往時の景観の名残をとどめる貴重な産業遺跡である。
:未指定 記念物(遺跡地)
吉岡銅山の旧坑道の一つ。坑道口から約250mを整備し公開している。削岩機の跡やトロッコ軌道が残り、近代における銅採掘の実態が体感できる空間となっている。
:未指定 記念物(遺跡地)
山神社は、享保年間(1716~35)に地元の銅山経営者大塚家が勧請した銅山の守護神金山彦命等を祀る。現在、御神体は同所の高草八幡神社へ遷され、旧本殿の建物だけが残る。当社の鳥居・玉垣には、三菱のマークが刻印されている。
:未指定 記念物(遺跡地)
吉岡銅山に隣接した北方銅山(高梁市成羽町吹屋北方地区)で祀られていた銅山の守護神。閉山後、現在の高草八幡神社の境内に移設された。
:未指定 有形文化財(建造物)
戦国時代に吉岡銅山を支配下に置いた尼子氏が築城した山城跡。武将吉田兼久が在城し、銅山の支配にあたった。
:未指定 記念物(遺跡地)
永正2年(1505)の創建とされ、吉岡銅山を支配した戦国大名尼子氏ゆかりの寺。
:未指定 有形文化財(建造物)
江戸時代の創建と伝えられ、かつては「観音堂」と呼ばれた。明治28年(1896)に当時の鉱山長が銅山盛業を祈願したことから「銅栄寺」と称された。
:未指定 記念物(遺跡地)
吹屋白石地区にある江戸時代中期以降の銅山に従事した鉱夫の長屋跡。製錬場へ続く坂道の両側には、数段にわたる石積が残る。
:未指定 記念物(遺跡地)
旧吹屋小学校校舎は、銅山と弁柄製造が隆盛していた明治33年(1900)に東西校舎、同42年(1909)に本館が竣工した。各建物の天井裏に造作されたトラス構造等、明治期の擬洋風建築独特の特徴がみられる。「現役最古の木造校舎」として話題となったが、平成24年3月末に閉校となった。敷地は、銅山役所跡(江戸期)、本部事務所跡(明治期)にあたる。
:県指定 重要文化財(建造物)
成羽から吹屋を経由して備後東城に至る旧道。記録によると、吹屋から牛馬の背で、当地産の銅・弁柄や鉄が成羽河岸を経由して、高瀬舟で玉島港(現倉敷市玉島)へ輸送され、全国市場へ出荷された。
:未指定 記念物(遺跡地)
吉岡銅山と成羽を結ぶ約20kmのトロッコ軌道の跡。明治後期から大正初期に、成羽川左岸に整備、銅の搬出や製錬に必要なコークス・木炭が運搬された。従前の馬車輸送と比較して、その輸送力は飛躍的に向上した。
:未指定 記念物(遺跡地)
三菱が吉岡銅山の設備等の近代化を図る中で、大正3年(1914)に建設された発電所跡。これにより、鉱山内の採鉱・選鉱・製錬に使用する動力源を供給した。
:未指定 記念物(遺跡地)
備中地方一円に伝承されている神楽。江戸時代後期に、記紀を題材とした演劇性の高い神代神楽「天の岩戸開き」「国譲り」「大蛇退治」が創作され、地域色豊かな民俗芸能として定着。鉱山労働者等に数少ない娯楽の機会を提供した。
:国指定 重要無形民俗文化財
吹屋千枚地区にある石仏地蔵。狭い坑道内でのかがみ姿勢の過酷な労働に従事した銅山労働者によって祀られたと伝承される。銅山の衰退とともに堂宇は損傷したが、近年整備され、足腰の病気を患う人々の信仰の対象となっている。
:未指定 有形民俗
吹屋の町並みに葺かれた瓦は、江戸時代後期から明治時代にかけて、石見国江津村(現島根県江津市)から塩田村(現高梁市宇治町塩田)に来住した瓦職人によって焼成された。石州瓦に適した良質の土と燃料を確保し、主に塩田村に窯が築かれたことから、地元では「塩田瓦」と呼ばれた。現在、瓦製作道具一式が収集されている。
:未指定 有形民俗
弁柄の製造・販売を手掛けた旧片山家に残された古文書群。江戸時代中期から明治中期頃までの弁柄の製造・販売に関する実態を解明する上で、貴重な資料である。
:未指定 有形文化財(古文書)