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国内屈指の銅(あかがね)の生産地

ページID:0036092 印刷用ページを表示する 掲載日:2020年6月19日更新

 「吹屋よいとこ 金掘るところ 掘れば掘るほど 金がでる」、吹屋に伝わる俗謡(ぞくよう)にもあるように、国内有数の銅(銅は、その色合いから「あかがね」とも呼称された)の生産地でもあった。伝承によると、当地の吉岡(よしおか)銅山(どうざん)は、大同2年(807)の開坑、戦国時代には有力大名による争奪戦が展開されたが、江戸時代中期には、大坂の泉屋(いずみや)(後の住友(すみとも)家)が経営に参画し、国内屈指の産銅量を誇った。その後、明治時代初期には岩崎(いわさき)弥太郎(やたろう)(三菱商会)が買収し、巨大な資本力と外国の先進技術の導入により、近代的経営を展開、後の鉱山経営の規範となったとされる。
 昭和47年(1972)に閉山となったが、現在、鉱山跡地には坑道(こうどう)・選鉱場・製錬所・沈殿槽(ちんでんそう)・トロッコ用トンネル等の遺構がみられ、往時を偲ぶことができる。このように、吉岡銅山は、住友・三菱という我が国を代表する財閥が経営に関与した銅山であり、貴重な産業遺跡として評価(近代化産業遺産:平成19年経済産業省)されている。

笹畝坑道<公開されている笹畝坑道>