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地名をあるく 80.中井町折瀬戸・狭門

ページID:0008060 印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月1日更新

 今回取り上げる地名は、中井町にあって古くから「郷土の名勝地」として紹介されていた二カ所の景勝地を取り上げ、今一度郷土を考えていただくよすがとなればと思うのです。二カ所とは「折瀬戸」(おりせんど)と「狭(峡)門」(はざまど)であります。

 中井町のこの付近は、新世代第三紀中新世の末期(約七〇〇万年前)に形成された吉備高原にあって、古生代の石炭紀末(二億八千万年前)に形成されたといわれる「川上台」・「成羽台」に続く「草間台」という石灰岩台地の一部に当たる場所で、上野上・上野下付近には、カルスト地形(石灰岩地形)が広がり、ドリーネ(すり鉢状のくぼ地)や台地から水が地下へ吸い込まれている穴(ポノール)や鍾乳洞などが見られる地域になっています。山々や石灰岩の台地は、数百メートルも浸食され、V字の形となった川や谷は谷壁が切り立った石灰岩の壁となって峡谷地形を作り出している場所で、いずれも名勝地になっています。

 その一つ「折瀬戸」は、西方の花木から佐伏川にそって北にはいると上野下の集落が石灰岩の分布する急斜面に点在し、その左側には、やはり石灰岩のシジマキ山(標高四〇〇メートル)があります。この山すその森には、応永二年(一三九五)創立と伝えられている三座神社が鎮座していて、拝殿には、小野小町などが詠んだ和歌を絵入りで奉納されたものが残されています。佐伏川は、新見市豊永佐伏付近から石灰岩台地を流れ出て津々川と合流して高梁川へ流れ出る川で、高梁市と新見市の境になっています。中井町上野下の集落がとぎれる当たりからシジマキ山を右に迂回して流れる場所は、石灰岩が切断曲流となり、深い谷壁をつくっています。付近は風光明媚な「折瀬戸」という景勝地になって「上房郡史」に「佐伏川の沿岸を云う。地・人・煙絶え両岸狭まり、石灰岩の絶壁高さ幾十丈、…(略)…時に獼公(さる)の葛蘿を攀つるあり、鴻雁の緑水に浮かぶあり、…(略)…夏日釣魚の楽、秋日紅葉の景に至りては実に名状し難く仙境と云うべきなり。」と「折瀬戸」の風景をたたえています。また、与謝野晶子もこの地を「蝋石の渓」(石灰岩の渓谷)として歌に詠んでいます。

 もう一つの景勝の地「狭門」(拙稿「地名さんぽ 狭門」参照)は、高梁川の支流津々川にそって街村となっている西方や鍛冶屋の集落を見下ろす位置にあり、向かって右の大師嶽(峡門山)(三七九メートル)とその西側に位置する芋岡山(三九二メートル)の二つの山は石灰岩で被われ、険しく屏風のように切り立ち、石灰岩の山肌が露出している山で、ふもとの市場や鍛冶屋の集落を見下ろしています。大師嶽と芋岡山の二つの山間の谷間付近一帯を「狭門」と呼んでいます。

 狭門山といわれる麓には、薬師堂や大師堂が祭られ、左手に念珠、右手に金剛杵を持つ文政一一年(一八二八)銘の弘法大師座像石仏が祀られていて、ここを起点にそそり立つ裏山は八十八カ所を巡拝する霊場となっていて、大師信仰の山として、行場として、信仰されていた場所でみごとな景勝地となっています。「上房郡誌」や「岡山県名勝誌」にも「狭門」として紹介しています。「岡山県名勝誌」は、「西方字市場に在り、両側は石灰岩の絶壁にして、その間に経路(小路) 迂回して通ぜるあり、八十八か所の弘法大師なるものの石像を逕(みち)傍に安置せり。この辺秋候月色の景にして賞翫するに足るべく峡傍楓樹多く秋色闌なるとき紅錦を織りなせるを眺むるも亦佳なり。」と紹介しています。「折瀬戸」という地名は、「折」は傾斜地や崖を意味し「瀬戸」は地峡とか、両側に山が迫った狭い谷間、狭処を意味する地名なのです。

 また「狭(峡)門」は、山と山に狭まれた狭いところ、狭間、迫などと同じ意味で谷間の地形を表す代表的な地名で狭いところを示す地名なのです。「折瀬戸」も「狭門」も自然地名の代表的なもので、地域の名勝地となっている場所なのです。
(文・松前俊洋さん)