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江戸時代前期の備中松山藩主。水谷勝俊の長男として京都に生まれた。父の遺領の常陸国下館(現茨城県)、備中国成羽(現高梁市成羽町)を経て、1642(嘉永19)年備中松山藩主となる。勝隆の治めた時代には、石高五万石ではあったが、備中国の3分の2近くを領地とし、高瀬舟の整備、新田開発、鉱山業の振興などの業績をあげ、次の勝宗、勝美の代に受け継がれた。水谷三代の時代に備中松山藩の基礎が築かれた。