高梁市からは、近世以降、時代に影響を与えたさまざまな人物が育っています。主な人物を紹介します。
小堀遠州(こぼりえんしゅう)・・・・・江戸時代前期の大名で、茶人・作庭家。備中松山城の修復と頼久寺の庭園を作庭した。
水谷勝隆(みずのやかつたか)・・・江戸時代前期の備中松山藩主。備中松山城の大改修を行った。
板倉勝静(いたくらかつきよ)・・・・・備中松山藩最後の藩主。15代将軍徳川慶喜の時に老中首座を務める。
山田方谷(やまだほうこく)・・・・・・・備中松山藩主板倉勝静の時に藩政改革を行った。
三島中洲(みしまちゅうしゅう)・・・・山田方谷に学ぶ。二松学舎を創設。宮中顧問官などを歴任。
福西志計子(ふくにししげこ)・・・・・岡山県における女性教育を推進。県内初の女性学校となる順正女学校を創設。
留岡幸助(とめおかこうすけ)・・・・社会福祉事業の先駆者。北海道家庭学校の創始者。
児島虎次郎(こじまとらじろう)・・・・大原孫三郎の援助を受け、西洋美術を収集し、多くの名画を日本に紹介した。
綱島梁川(つなしまりょうせん)・・・・有漢町出身の宗教思想家。
清水比庵(しみずひあん)・・・・・・・高梁市出身の歌人・書家・画家。栃木県日光町長を務めた。