山田方谷は、備中松山藩の藩政改革を断行し、財政危機に陥っていた藩を立て直すとともに、教育者として多くの優秀な人材を育成したことで知られています。
方谷を顕彰する施設としては、生誕の地である高梁市中井町と終焉の地である新見市大佐にそれぞれ資料館・記念館がありますが、活躍した地である城下町には、方谷の生涯や事績を体系的に紹介・顕彰する施設はありませんでした。
平成31年(2019)2月24日に、旧高梁中央図書館を活用し、方谷を顕彰する施設として待望の「山田方谷記念館」を整備しました。
戊辰戦争によって、朝敵となり、備中松山を無血開城したのが1868年。
方谷らによって守られた町の地名は「備中松山」から「高梁」へと改名されました。
2019年は、地名の改名後、150年の節目にあたっており、こうした記念の年に記念館を開館することができました。