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備中松山城の
城下町高梁

重要文化財・備中松山城(山城)の城下町として発展した高梁は、城下町の町割りや町家が今も残り神社の祭事や松山踊り
などの伝統行事と歴史的町並みが一体的となって良好な市街地環境が形成されています。

備中松山城

日本三大山城(備中松山城・大和高取城・美濃岩村城)の一つ。
山頂の城跡に建物が残っているのは、三大山城の中で備中松山城だけです。

備中松山城の写真1 備中松山城の写真2 備中松山城の写真3

頼久寺庭園

足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つと言われ、小堀遠州作庭の枯山水庭園は、国指定名勝となっています。

頼久寺庭園の写真1 頼久寺庭園の写真2 頼久寺庭園の写真3

松山踊り

県下三大踊りの一つ。
慶安元年(1648年)に備中松山城主の水野勝隆が、五穀豊穣と町家の繁栄を祈願して躍らせたのが始まりと伝えられています。

松山踊りの写真1 松山踊りの写真2 松山踊りの写真3

銅山とベンガラで
繁栄した吹屋

重要伝統的建造物群保存地区内の石州瓦とベンガラ格子が特徴的な吹屋の町並みでは、今も秋季例祭行事と生活の営みが受け継がれています。

吹屋の町並み

赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み。この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者たちが後世に残した最大の文化遺産です。

吹屋の町並みの写真1 吹屋の町並みの写真2 吹屋の町並みの写真3

広兼邸

小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅です。江戸末期に建てられた楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。

広兼邸の写真1 広兼邸の写真2 広兼邸の写真3

西江邸

西江邸は、宝暦元年(1751年)に高品質なベンガラの礎となる本山鉱山を開坑、ベンガラの原料となるローハとベンガラの大量生産を行った豪農商西江家の邸宅で、建物の創建は宝永・正徳年間(1704年から1715年まで)です。

西江邸の写真1 西江邸の写真2 西江邸の写真3

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